エジソン自身も語っているように、電球の特許訴訟に明け暮れざるを得ないほど、彼の基本特許はきわどいものであって、多数の企業がこの旨みのある産業に参入したのである。1893年には、米国だけで60社近くにもなっていた。産業の初期の発展段階には、多数の企業が同時に参入するという現象がよく起こる。電球という同じ目的に対して数々の創意工夫が提案され、それに応じた種々の製品(プロダクト)が生まれてくる。数々のプロダクトーイノペーションのなかから、しだいに基本的な構成と機能が決まっていき、市場の大多数のユーザーが満足するドミナントーデザインの製品に淘汰されていく。ドミナントーデザインがほぼ決まりだすと、この過当競争のなかで勝ち残るのは、よい品質のものを安いコストで効率的に製造する、革新的な生産(プロセス)技術をつくりあげた企業、プロセスーイノペーションを行なった企業である。ドミナントーデザインが出現して以後は、技術の進歩の方向と速度が変わり、競争の構造が変わるのである。初期の電球製造は、1個の電球をつくるのに200を超える工程からなっていて、1時間もかかっていた。熟練工の手づくりだったのだ。問題は「真空引き」の工程、手作業のガラス吹きの工程、導線を口金に封じる工程などであった。これらが入手をかけない全自動の工程に改良されていくと、炭素フィラメント電球の価格は急速に下がっていった。1880年の価格を1とすると、1896年には5分の1以下になった。プロセスーイノペーションに追いついてこられない企業は淘汰され、数は減少する。エジソンの場合はこれに加えて、相手の企業を特許訴訟で徹底的に叩き、勝利したことが、電球産業への参入企業の数を減少させる大きな要因となった。